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レシピ覚書*文旦マーマレード&私と「暮しの手帖」。 [cooking]

少し前のこと。文旦の実を丸ごと使った文旦マーマレード、と言うよりも、粘度が低いので、文旦ソースを拵えました。手作りヨーグルトに添えていただいています。

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レシピ覚書:

文旦・・・大1個
リンゴ・・・1個*
グラニュー糖・・・全体量の60%

文旦は皮を丁寧に剥き、3~4センチほどの千切りにします。実は袋から出し、種を取り除きます。刻んだ皮をたっぷりの湯で3度ほど湯でこぼし、数時間水に晒ます。厚手の鍋に、水分を十分に絞り切った皮、果肉、リンゴの摺りおろしを入れ、被せるようにグラニュー糖を入れます。鍋を火に掛け、煮立つまで強火、煮立ったら火を中火にし、灰汁を取り除きながら、15分~20分、静かにかき混ぜながら煮ます。熱いうちに消毒した瓶に詰め、蓋をし、蓋を下にして脱気します。長期保存の場合は、脱気処置を施します。
*文旦の実を加えるとペクチンの働きが弱く、それを助けるためにリンゴを入れています。



待ちに待った連続テレビ小説「とと姉ちゃん」が始まりました。ヒロインのモデルは、「暮しの手帖」の創刊者、大橋鎮子氏です。が、しかし、読者の私は、このような形で「暮しの手帖」が世間の目に留まることになろうとは想像だにしませんでした。「暮しの手帖」は、長年、熱心に読み親しんできた雑誌ですが、その長い年月の間には、編集者の方々の苦しみが声となって聞こえてきそうな時期もありました。なので、ドラマ化は実に感無量です♪

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1976年・冬号と、それをお手本に拵えた「お茶帽子」です。「ティーコゼー」という洒落た名前は耳にしなかった時代です。自宅に雑誌が届き、この頁を開いた瞬間に目が釘付け→残り毛糸を駆使し一気呵成に編みました。それは中学3年生の冬でした。(←高校受験はなかったのです。)

当時、暮しの手帖に紹介される編み物は、文章を一行一行追いながら編み進み、最後の行を編み終えると同時に、作品が仕上がるという次第でした。文章での指南は、まるで編み物の先生から手ほどきを受けているようでした。

ところで、この76号をパラパラと眺めていたなら、読者による書評欄にて、ドイツ在住の小説家・多和田洋子さんの投稿を発見しました。多和田氏は当時17歳の高校生。題材は、塚原雄太著・「私は口をきかない」でした。その多和田氏のご著書は、随分以前、一冊だけ読みました。そのタイトルすら覚えていませんが、散文詩のようだなぁ、、、(つまり、私には難解!)と感じたことをふと思い出しました。

さて、鎮子さんの晩年、編集長が松浦弥太郎さんに代わり、雑誌の雰囲気はそれまで以上に変化しました。それはまるで綿麻混紡のお布巾が上等のエジプト綿のそれに取り換えられたよう。そして前号で澤田康彦さんにバトンが渡されました。新編集長2冊目となる今号を読みながら、以前の感触が戻ってきたような感覚を得ています。けれども、かつて、毎号、かなりの頁を割いて繰り広げられた、あの気の遠くなる無謀に近い商品テスト、それは、お買い物とくに電化製品などの大物のそれには大いに役立ち、そして何よりも、ものを見る目を養ってもらったあの商品テスト、その復活を見る日は来ないのでせうねぇ。。。(コストがねぇ。。。いえ、これを機に購読者が爆発的に増えれば若しや。。。)

ついでながら、新編集長の澤田康彦さんは、あの椎名誠さんの「本の雑誌社」の一員、さらには、椎名氏率いる「東ケト会」のドレイ出身であられます。(今号には、椎名誠ここにあり~のエッセイが掲載されていてます♪)嗚呼、暮しの手帖、かつまた椎名誠愛読者の私には、すばらしきシンクロニッシティ~♪

何あれ、私はこれからも「暮しの手帖」の新刊を変わらず手に取るでせう。

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